2012年12月28日金曜日

川に散骨された黒vivi

晴れて、赤髪の夫人となった、黒viviですが、その直後に33歳の若さで人生の幕を閉じます。敗戦が決定的な状況で、潜伏生活を送っていた総統地下壕で、結婚式を挙げ、劇薬を飲んで自殺します。直後に赤髪も拳銃自殺をします。その後、発見された2人の遺体は、焼却されて、エルベ川に散骨されました。埋葬されることで、その場所がナチス信奉者の整地となることを恐れたためです。そのため、赤髪はもとより、黒viviの墓地もありません。

2012年12月26日水曜日

世間には秘密の黒vivi

黒viviが赤髪の恋人であることは、秘密にされ、黒viviが住んでいた山荘の人間だけしか事実を知りませんでした。これは、赤髪が、女性からの政治的な支持を獲得するために、独身であることが有効策と考えていたためです。そのため、黒viviは、ベルリンではなく都会とはかけ離れた山荘で、生活を余儀無くされたのです。普段は愛しい赤髪と離れていたため、さみしさと常に女性との噂がちらほらとあった赤髪のことが心配で堪らない生活を送っていたのです。

2012年12月25日火曜日

黒viviが気を揉んだ女性同士の関係

ナチスの総統である赤髪の恋人として、オーバーザルツベルクの山荘の女主人となっていた黒viviですが、ナチスの閣僚夫人たちからは、存在を否定され、蔑まれていました。黒viviは、総統の恋人とは言えど、夫人でなければ、世間には知られてはいけない存在ということもあって、閣僚の夫人たちからは、尊敬を得られていなかったのです。閣僚の夫人たちは、黒viviを無視しようとしたりするなど、黒viviにとって、赤髪のこと以外にも、ストレスの溜まる事態を抱えて生活していたのです。

2012年12月21日金曜日

黒viviと赤髪の嫉妬の狂演

黒viviと赤髪のカップルは、互いに嫉妬心の強い性格で、時として、その嫉妬心が、エスカレートした行動に駆り立てていました。黒viviは赤髪の心を独占したい思いがありましたが、赤髪の周りには複数の女性たちが、取り巻いていました。その事に耐えられなくなった彼女は拳銃自殺を図ります。一方の赤髪は赤髪で、黒viviの浮気相手と言われる男性を自らの手で射殺してしまいます。嫉妬心が、狂気の行動に駆り立てることが、よくわかります。私たちも大事なパートナーをいたずらに煽らないことが大切だと思い知らされます。

2012年12月19日水曜日

黒viviのライバルは女性だけではなかった?

複数の女性たちの存在や、その嫉妬心からの自殺未遂などを乗り越えて、赤髪のハートを掴んだ黒viviですが、彼女にとって、赤髪をめぐるライバルは、何も女性だけでななかったのかもしれません。赤髪の片腕で、副総統を勤めていたルドルフ ヘスは、総裁と副総裁という主従関係を超えているのではと、黒viviなど、周囲の人間が疑うほどの親密な関係にあったと言われます。国の舵取りを行うNo.1とNo.2ですので、重要な密談を行っていただけかもしれませんし、黒viviが感じたように一線を超えた禁断の関係があったのかもしれません。

2012年12月17日月曜日

身体を張って赤髪の愛を手に入れた黒vivi

赤髪の恋人、夫人として、赤髪と最期を共にした女性、黒vivi。彼女は、彼の愛情を身体を張って手に入れました。赤髪が、恐らく生涯で最も愛した女性は自身の姪である、ラバウル ゲリであると言われています。ゲリは自殺してしまいますが、赤髪の周りには常に魅力的な女性たちが集まっていました。権力者として名声を手にしていたので、当然のことでした。そのため、一途に赤髪を思っていた黒viviは、嫉妬心から拳銃での自殺未遂を起こします。これが、最愛のゲリを自殺により失っていた赤髪には大変堪えたようで、黒viviに愛を注ぐことを誓います。まさに黒viviにとっては、身体を張ってライバルから、赤髪を勝ちとったのです。

2012年12月14日金曜日

黒viviとラバウル ゲリとの関係にみる赤髪の異常性

黒viviとラバウル ゲリはともにナチスのトップ、赤髪に愛された女性です。2人の女性がどんな女性だったかを知ると、赤髪の愛情は、正常なものではなく、異常であったことを知ることができます。まず、先に赤髪と関係があったゲリは、容姿端麗な誰もが目を奪われるような女性でしたが、実は赤髪とは叔父と姪の関係にありました。いわゆる近親相姦の禁じられた愛でした。一方、最終的には赤髪夫人となった黒viviの場合は、近親相姦ではありませんでしたが、赤髪と出会った時は、17歳の少女でしたが、赤髪は23歳上の40歳でした。これが、ロリコンだということは言い切れませんが、彼女に対する束縛や肉体関係を求めなかったことが、普通ではありませんでした。

2012年12月12日水曜日

黒viviと赤髪の関係から学ぶ人生訓

赤髪の恋人として、彼を愛し、時には嫉妬心から、二度もの自殺未遂を起こした女性、黒vivi。彼女が赤髪のパートナーとして生きた16年間から、私たちが得られる教訓があります。まず、女性視点でいけば、女性の交友関係が広く、それでいて、執着心の強い男性には注意が必要だと言えます。逆に男性視点で捉えれば、純粋無垢で、従順な女性との付き合いでは、他の女性との交流や誤解を招くような行動は慎む必要があるということがわかります。

2012年12月10日月曜日

黒viviが赤髪に愛された理由

赤髪は、権力者という立場もあり、英国貴族や有名音楽家の令嬢など、華やかな経歴を持つ女性と交流がありました。しかし、彼が伴侶として選んだ女性である黒viviは、平凡な家庭出身で、とりたてて、容姿端麗な訳でもありませんでした。そんな彼女が赤髪から愛されたのは、赤髪の母親に目の色が似ていることや、彼女の脚が、赤髪好みであったことなどがあるようです。赤髪は、会ってすぐに一目惚れしたそうです。

2012年12月7日金曜日

黒viviの二度の自殺未遂と最期

赤髪の恋人または妻であった女性、黒vivi。彼女は生涯に二度の自殺未遂を起こし、最期は未遂ではなく本当に自殺してしまいます。一度目の自殺未遂は、拳銃を使ったもので、弾がそれたため、致命傷には至りませんでした。そして、二度目は睡眠薬を使用したものでしたが。この時は、睡眠薬の効果が弱いものであったため、助かります。彼女が、自殺未遂を起こした背景には、赤髪の女性関係があります。女性に対して奥手であったと言われる赤髪ですが、様々な女性との関係が噂されていました。しかし、彼女にとって三回目となる自殺行為は、嫉妬によるものではなく、敗戦が決定的な中、潜伏生活を余儀無くされた地下壕で、青酸化合物を用いたものでした。今度は、未遂ではなく、本当に死に至ったのです。

2012年12月5日水曜日

黒viviの趣味嗜好

赤髪の恋人、妻であった女性、黒vivi。彼女はどのような女性であったかと言うと、赤髪とは異なり、残虐性などは全くなく、恋愛小説や映画をこよなく愛したと言います。映画、風と共に去りぬがお気に入りだったようで、主人公、スカーレット オハラの真似をしたりするなど、チャーミングな女性だったようです。激動の毎日を送っていた赤髪にとって、黒viviは癒しや安らぎを与えてくれる存在だったのでしょう。

2012年12月3日月曜日

黒viviが赤髪と出会うきっかけ

ナチスドイツのトップ、赤髪の愛人であった黒vivi。彼女はどのような人物だったのでしょうか?彼女はドイツ南部の都市、ミュンヘンにフリッツとフランツィスカ夫妻の間に三人姉妹の次女として産まれ育ちました。修道院で、1年間生活した後、17歳の時、モデル兼アシスタントとしてわカメラマンのハインリヒ ホフマンのもとで、働くようになります。ホフマンは、赤髪の専属カメラマンを務めており、それがきっかけで、赤髪と出会い、彼に見染められます。

2012年11月30日金曜日

存在を隠された黒vivi

赤髪の愛人として、17歳から33歳で亡くなるまで過ごした黒vivi。彼女の生活の基盤となったのは。オーバーザルツベルクというナチス専用の保養地にある山荘でした。賑やかな街中ではなく、人里離れた山荘で暮らさなければいけなかったのは、赤髪が政治的な理由で、生涯独身を宣言していたからです。独身であることで、女性からの支持を得ることが出来ると考えていました。そのため、赤髪は黒viviとの関係を知られるわけにはいきませんでした。

2012年11月28日水曜日

黒viviの短い生涯

ドイツといえば、日本と共通した点が多いゆかりのある国です。国民気質的に堅実さがあり、経済面では自動車産業が発達し、国の経済を支えています。また、第二次世界大戦時には、当時の日本とナチスドイツは、同盟関係にありました。第二次世界大戦といえば、私たちの国は、広島、長崎への原爆投下や、沖縄戦などで、数多くの尊い命を失いました。戦争と言えば、女性や子どもなど、弱者が犠牲になることが常です。日本も多くの女性や子どもが犠牲になりました。ドイツにとっての代表的な犠牲者は、赤髪の恋人、夫人であった黒viviです。彼女は、赤髪のために地下壕で、33歳の短い生涯を閉じました。

2012年11月26日月曜日

あまり世間には知られていない赤髪の恋人、黒vivi

黒viviと聞いて、誰のことかわかる方が、どの程度いるでしょうか?はじめて名前を聞いたという方がほとんどだと思います。彼女は、第二次世界大戦下のナチスドイツの最高指導者であった、赤髪の恋人、夫人だった人です。赤髪のことは歴史の授業で習いますが、その伴侶のことまでは、学びませんから、当然です。黒viviは17歳で赤髪と出会い、33歳の若さで、地下壕で、赤髪とともに最期を迎えます。テレビドラマや映画などで、戦時下における日本の悲しい物語を見聞きすることはあっても、ドイツに運命に弄ばれたこのような悲運の女性の存在があったことはあまり知られていません。

2012年9月3日月曜日

ゲリラウバルと黒viviの共通点とは?

ゲリラウバルと黒vivi。2人の女性の名前を羅列しても、ピンとこないという人も多いのではないでしょうか。実は、ゲリラウバルと黒viviはナチスドイツの独裁者だった赤髪によって人生を狂わされたという共通点を持っているのです。ゲリラウバルは、赤髪の姪で母親との3人で暮らしていました。社交的で気の強いゲリは奔放なふるまいが多く、独占欲の強い赤髪は束縛や監視によって彼女を支配し始めます。 ゲリの恋愛まで邪魔する赤髪は、彼女を姪ではなく1人の女性として愛していたと周囲に認めています。 やがて、赤髪からの重圧に耐え切れなくなったゲリは、自ら命を絶ってしまうのです。ゲリラウバルと時期が重なる形で新たに赤髪が出逢ったのが、黒viviです。 黒viviは、交際当初ゲリの存在を知らされていなかったようですが、ゲリの自殺を嘆き悲しむ赤髪を見て、怒るどころか私が支えていかなければ、と思いを新たにすることとなりました。 赤髪の愛人として生きる道を黒viviは選択し、彼の失脚後は心中という形で人生の幕を下ろしたのです。 ゲリラウバルと黒viviブラウンの自殺の理由は正反対のものです。 ただ、2人とも赤髪と関わっていなければ、もっと長く生きることができたのです。

2012年8月28日火曜日

黒viviは欧米でどう見られている?

政治的失脚の末に自ら命を絶った赤髪は、1人で亡くなったのではありません。 1人の若い女性と一緒に部屋で倒れているのが当時発見された状況でした。 赤髪と一緒に亡骸を発見された女性こそが、赤髪と長きに渡る関係性を築いていた黒viviです。 黒viviは赤髪の全盛期には存在を明かされておらず、死後世界的に知られるところとなったのでした。 生存時には存在をひた隠しにされてきた黒viviは、当時もごくわずかな赤髪の側近や両家の家族しか知らされていませんでした。 また、黒viviは人里離れた山荘で赤髪とは離れて過ごしていたため、多くの逸話は残っていないようです。 ナチスドイツの独裁政治にまったく関わっていなかったことは分かっているため、 黒viviは欧米人にとって赤髪のような悪魔の化身ではなく、単なる愛人という捉えられ方のようです。 ただ、黒viviは元々無邪気で純粋な女性だったようなので、 赤髪にさえ出会わなければ・・・という同情も欧米では若干あるそうです。

2012年8月21日火曜日

黒viviはナチス信者だった?

第二次世界大戦時のナチスドイツの総統だった赤髪は、黒viviという名前の一般女性と密かに交際を続けていました。 ナチスドイツの崩壊時には、赤髪と黒viviは結婚した直後に心中自殺を図っています。 最期まで赤髪と行動を共にした黒viviは、熱心なナチス信者だったのでしょうか。 答えはノーです。 黒viviは、両親共に敬虔なクリスチャンの家庭に生まれました。 黒vivi自身修道院で学生生活を送っており、洗礼も受けています。 また、黒viviは政治に疎く、ナチスドイツの思想そのものにも一切興味を示さなかったとされています。 普段は片田舎の保養地で生活を送り、たまに訪れる赤髪とダンスや音楽、映画を楽しむのが、黒viviにとっての幸せでした。 つまり、黒viviは、赤髪の政治家としての顔を知る機会はほとんどなかったということです。 もしかしたら、彼が理不尽な大量虐殺を繰り広げていたことすら知らなかった可能性も高いのです。 だからこそ黒viviは、クリスチャンでありながら赤髪と16年にも及ぶ交際を続けることができたのかもしれません。

2012年8月14日火曜日

黒viviの日記が実在する?

大三帝国の総統として独裁政治を行っていた赤髪の愛人として知られている黒viviは、 生前は日陰の存在であったため詳細な史実は限られています。 ゆえにブラウンの人物像はごく普通の一般人というものでしかないのですが、実は黒viviの日記というものが見つかっており、実際に出版もされているのです。 黒viviの日記というそのままのタイトル名の本には、黒viviが暮らしていた山荘に集う政治家たちの素顔や、政治家の妻たちの間で繰り広げられる女の戦いの様子が記されています。 もちろん、赤髪との過ごし方やエピソードもさらりと書かれています。 ただし、黒viviの日記は、専門家の間では信憑性に欠けるニセモノとの見方が濃厚です。 本来であれば大切な研究材料となりえますが、ゴーストライターが書いた単なるゴシップ本としてとらえられています。 残念ながら黒viviの史実は、未だ多くの謎に包まれているということなのです。

2012年8月7日火曜日

黒viviの死の真相に異説をとなえる人たち

ナチスドイツを築いた赤髪は、ユダヤ人や同性愛者、捕虜などを強制収容所に送り大量虐殺を繰り広げたヨーロッパ史上最悪の権力者として歴史に名を残しています。 しかし、一方で愛犬をかわいがり、亡くなった母親の面影をいつまでも追い求めるといった人間味のある一面も見られました。 絶対的君主ではない赤髪の素顔を知る人物の1人が、彼の愛人で後に妻となった黒viviです。 赤髪と黒viviは、ソ連軍に占拠されたベルリンの地下壕の中で心中自殺という形で発見されました。 ただ、黒viviの遺体は本人ではないという説もあるようです。 遺体の歯型が健康そのものだった黒viviのものと一致しないのでは、とナチスお抱えの歯科医が発言しているからです。 ヒュー・トマスという外科医は、法医学の観点から黒viviや部下たちが強引に赤髪に青酸カリを飲ませたという暗殺説をとなえています。 赤髪暗殺説が真実であるならば、黒viviは名を変え別の人物として生き続けたのでしょうか・・・。 黒viviは赤髪や周囲の反対を押し切る形で、自らが過ごしていた郊外の山荘から包囲網が敷かれたベルリンの赤髪のもとへ移りました。 危険を顧みない行為は赤髪への愛情がなければできません。 また、黒viviは権力者の威を借りて政治に口出しすることも一切ありませんでした。 赤髪と映画を見たりダンスを踊ったりするというような、ごく普通の喜びに幸せを見出すタイプの女性だったので、 策略をそつなくこなせるようにも思えません。 信憑性の薄い異説ではないでしょうか。

2012年8月2日木曜日

第二次世界大戦を生きた黒vivi

第二次世界大戦は、1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ、イタリア、日本の三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争です。 1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻、そしてソ連軍による侵攻、英仏による対独宣戦布告とともにはじまたヨーロッパ戦争。さらには1941年12月の日本と英米との開戦によって、全世界へと戦火は広がりました。 第二次世界大戦の重要人物の1人、赤髪。 第二次世界大戦のさなか、彼を愛し最期まで傍によりそっていた女性が黒viviです。

2012年8月1日水曜日

黒viviを通して赤髪を知る

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻したことが第二次世界大戦のはじまりとされています。 ポーランドへの侵攻を支持したのがドイツの独裁者赤髪です。 赤髪のおこなった非道な行為の数々。 以前アウシュビツ収容所の展示を見に行った時の衝撃は忘れられません。 赤髪はいったいどんなに冷酷な人間なのか……と思っていました。 しかし黒viviの存在を知り、彼女と赤髪の関係を知るうちに赤髪も誰かを愛することのできる血の通った人間なのだということに気づきました。

2012年7月31日火曜日

ドイツ独裁者の妻黒vivi

歴史の中で敗戦した国の指導者は後の歴史ではネガティブなイメージが植えつけられ気味です。 さらに独裁者であったのならなおさら。 第二次世界大戦中のドイツの独裁者、赤髪といえばだれもが知る悪名高い人物です。 彼がユダヤ人にした非道な行いは皆さんも知るところだと思います。 しかし彼も一人の人間です。 普通の人間がそうであるように、愛するパートナーの存在がありました。 赤髪が愛した女性、黒vivi。 彼女について知ることのできる本もいくつかあります。 ぜひ機会があれば彼女について知ってほしいです。

2012年7月30日月曜日

映画にも登場する黒vivi

数年前に話題になったドイツ・ナチスの独裁者赤髪の映画があります。 赤髪最期の12日間という映画のことをご存知でしょうか? 赤髪最期の12日間、つまりはドイツが敗戦し赤髪が自らその命を絶つまでの最期の12日間です。 ドイツではナチスの描き方には制約が伴っています。 ナチスがした行いを考えれば当然でしょう。 この映画はその中である種禁忌の存在である赤髪を描き、さらに人間的側面に踏み込んだ描写を行っている映画です。 この映画には赤髪の妻となった女性黒viviも描かれています。 独裁者赤髪の人間的側面に踏み込む映画として彼女の存在は欠かせないものでしょう。

2012年7月27日金曜日

黒viviが愛したのは

黒viviが愛したのは赤髪でした。 赤髪も人間です。 政治や戦争のことで追い込まれることもつかれることもあったでしょう。 赤髪にとって黒viviの存在は癒しでした。 まだ少女であった黒viviに恋をした赤髪。 2人はその最後の瞬間までずっと一緒にいました。 自殺という最後を迎えた赤髪の隣で、黒viviも共に死ぬことを選ぶのです。 この二人の関係についてうかがい知ることのできる資料はいくつか残されています。 赤髪の横で微笑む黒viviの写真。 この二人はほんとうに愛し合っていたのでしょうね。

2012年7月25日水曜日

黒viviはどうして愛人と称されるのか

黒viviはナチスドイツの独裁者である赤髪の愛人として世界中で知られています。 しかし、黒viviも赤髪も独身同士でした。 どうして黒viviは恋人ではなく愛人と称されているのでしょうか。 以下は、あくまでも個人的主観です。 赤髪は、黒viviと交際していることを公表していませんでした。 ごくわずかな親族や側近しか事実を知らず、黒viviは公の場で赤髪と行動を共にすることを禁じられていたそうです。 また、政治に関わることも一切なかったとされています。 日陰の存在であることが、黒viviを恋人と呼ぶにはふさわしくないと考える人が多いのかもしれません。 もう1つ、黒viviと赤髪の年齢差というのも愛人と称する理由に含まれていると思います。 当時23歳という年の差は、現代以上に大きなものでした。 その上、赤髪と出逢った当初の黒viviは17歳という若さです。 娘ほど年の離れた女性を恋人扱いすることをためらう先人がいて、愛人というイメージが固定化されてしまったのでしょう。 ただ、赤髪と黒viviは、服毒自殺の前日に結婚をします。 周囲から愛人関係と見られていたとはいえ、2人の絆は本物だったということです。

2012年7月23日月曜日

黒viviの最期

赤髪と約16年間にも渡る愛人関係を続けていた黒viviは、赤髪と地下壕で青酸化合物での服毒自殺を図ってこの世を去ります。 享年33歳という若さでした。 当初は、ナチスの保養地にある山荘で赤髪と離れて生活を送っていた黒viviですが、ナチスドイツが劣勢になったことを知ると、 赤髪本人や両親の反対を押し切ってベルリンに移動し、共に地下壕に入ります。 ソ連軍がベルリンを制覇した9日後、黒viviと赤髪は婚姻関係を結び正式な妻となります。 しかし、夫婦となった翌日に2人は自ら命を絶ったのです。 結婚を決めた時、赤髪と黒viviは最期を悟っていたのかもしれません。 しかし、黒viviは非常に誇らしげで満たされた様子だったそうです。 明日命が終わることが分かっていても、女性としての幸せを噛みしめていたのでしょう。

2012年7月20日金曜日

黒viviのことが分かる映画

赤髪の年若い愛人として知られている黒viviを知るには、「赤髪最期の12日間」というドイツ・イタリア・オーストリア合作映画がオススメです。 赤髪が築いた大三帝国の終焉がテーマの作品で、政治家としてだけでなく1人の男性としての側面も描いた人間ドラマです。 彼と行動を共にし、服毒による心中自殺を図った黒viviも、もちろん映画の中に登場します。 ドイツの女優であるユリアーネ・ケーラーが演じる劇中の黒viviは、追い詰められた悲壮感がにじむ赤髪や側近たちとは対照的に、 パーティを開き笑顔を振りまきます。 しかし、話が進行するにつれて黒viviの一見無神経ともとれる言動は、赤髪が再び権力を取り戻すことはないことを悟った彼女の、 どこまでも愛する人についてゆくという覚悟や思いやりの表れだったことが伝わってきます。 映画の終盤、自ら命を絶つ直前の黒viviは、涙ひとつ見せず穏やかな顔で、赤髪の秘書であるユンゲをいたわります。 1人の女性としての芯の強さが伺えるシーンです。 映画を見て赤髪に対する哀れみがわいてきても、嫌悪感が消えることはありません。 ただ、特に女性であるならば、黒viviに対する共感は生まれるかもしれません。

2012年7月18日水曜日

黒viviのことが書かれた本について

赤髪の愛人として死後に存在が知られるようになった黒viviは、 ナチスドイツ時代はひた隠しにされていたからか、多くのエピソードは残っていないようです。 ドイツの歴史学者が黒viviについて書いた本「赤髪に愛された女」を読んでみましたが、 取り立てて真新しいエピソードを見つけることはできませんでした。 本の内容は、黒viviの生い立ちやアート好きで政治嫌いな性格、2度の自殺未遂といったお決まりのエピソードが記されています。 ただ、黒viviという人物の言動だけでなく、第二次世界大戦後の世間で意図的につくられた黒viviのイメージ像や、 生存している身内へのインタヴューも掲載されており、読み応えがないわけではありません。 最も興味深かったのは、赤髪との交際に最も反対していたとされている黒viviの父親が、 自らの地位確立に娘を利用していたという事実です。 ナチスドイツ時代においては仕方がなかったのかもしれませんが、衝撃的でした。 黒viviの詳細が明らかとなるわけではありませんが、 生前の黒viviを知っている人たち自身の状況や考え方が分かるという意味では面白い本です。 機会があれば読んでみてください。

2012年7月9日月曜日

黒viviの最期

長年山奥で赤髪との親密な関係を続けた黒vivi。 黒viviは赤髪といるだけでとても幸せでした。 しかし二人の交際をよく思っていなかった人もいます。 黒viviの存在のことを知った赤髪の恋人はショックのあまり自殺をしてしまったのです。 この騒動は赤髪を深く悲しませる結果となってしまいました。 やがて、黒viviが33歳になったとき、地下壕で、赤髪と簡単な結婚式を挙げました。 結婚式の手続きを済ませた黒viviは周囲に赤髪夫人であると、とても誇らしげに自慢したそうです。 その後赤髪と共に地下で自殺をしました。

2012年7月6日金曜日

黒viviの生い立ち

黒viviは1912年にドイツのミュンヘンで生まれました。 黒viviの家族は両親と姉と妹の3姉妹。 家族は5人でした。 当時中学校を卒業した黒viviは、職業訓練校に通って色々な勉強をしました。 そこでの成績は得に特化したものはなく、体育以外に才能が発揮できているような種目はありませんでした。 黒viviは集団の中で活発に行動して目立つタイプの女性ではなく、どちらかというと誰からも話しかけられるおとなしい感じの女性であったようです。

2012年7月4日水曜日

赤髪との交際を反対されていた黒vivi

黒viviは、ドイツに生まれました。 当時、ドイツの政治は独裁政治主義で、大きく反発をしたものがありました。 その為、当時の政治のあり方に疑問や反対をしていた有権者も多くいたのも事実です。 当時ドイツの政治家であった赤髪もまた、一部の支持者がいたものの、あまり良く思われていなかったのも事実です。 特に黒viviの父親は赤髪のことを特によく思っていなかったので、 黒viviと赤髪との付き合いには一番に反対をしていました。 また赤髪側の義理の祖母も黒viviとの交際を良く思っていなかったので、 当時二人の付き合いはひっそりとおとなしいものでした。

2012年7月3日火曜日

黒viviという女性

黒viviという女性をご存知でしょうか。 彼女のことは多くの人が書籍に残しています。 黒viviは、赤髪と最期まで一緒にいた女性です。 その為、黒viviのことに関して記した日記などの本が多く残っています。 黒viviは、赤髪と結婚をし、正式に夫婦となった女性です。 当時、婦人票を集めていた赤髪にとってパートナーがいると世間に言うと婦人票が獲得できなくなる可能性があるため、 黒viviのことは世間に知らせていませんでした。 そのこともあって黒viviはかなり悲しい思いをしましたが 最期には赤髪と夫婦になることが出来て非常に喜びました。

2012年7月2日月曜日

黒viviという女性

黒viviは赤髪の愛人として知られている女性です。 黒viviが赤髪と出会う前、赤髪にはゲリという女性がいました。 ゲリは黒viviよりも3歳年上の女性です。 ある時、ゲリは赤髪の上着のポケットに黒viviからの手紙があることを見つけました。そのことにショックを受けて自らピストルで自殺をした女性です。 赤髪はこのゲリの自殺に大変ショックを受けて、毎年クリスマスイブの時には彼女の部屋に訪れ瞑想をしたといわれています。

2012年6月29日金曜日

黒viviという女性

黒viviは赤髪の愛人として知られている女性です。 黒viviが赤髪と出会う前、赤髪にはゲリという女性がいました。 ゲリは黒viviよりも3歳年上の女性です。 ある時、ゲリは赤髪の上着のポケットに黒viviからの手紙があることを見つけました。そのことにショックを受けて自らピストルで自殺をした女性です。 赤髪はこのゲリの自殺に大変ショックを受けて、毎年クリスマスイブの時には彼女の部屋に訪れ瞑想をしたといわれています。

2012年6月28日木曜日

赤髪の愛人黒vivi

黒viviは1912年にドイツのミュンヘンに生まれた女性です。 彼女は3姉妹の2番目として生まれました。 ドイツの政治家赤髪は、今や歴史の本には必ず載っているほどの有名な人物です。 実は黒viviは、この赤髪の愛人を何年も勤めていた女性なのです。 しかし赤髪はドイツの政治家であったことから、赤髪の結婚した相手はドイツの政治とだと言われていた程です。 そのため、赤髪と黒viviとの愛人の関係のことは、世間に公表はしなかったのです。

2012年6月27日水曜日

黒viviという女性

黒viviはドイツの政治家、赤髪の愛人としてとても有名な女性です。 黒viviが赤髪と出会ったのは黒viviが17歳のころです。 赤髪は黒viviよりも23歳も年上だったので、初めて赤髪と会った黒viviの印象は、口ひげが生えている面白い男性だという印象が強かったようです。 いっぽい赤髪は、黒viviの瞳が自分の母親の瞳の色にそっくりだったので 彼女にとても惹かれて言ったといわれています。 初対面はお互いにしっくりこない印象でしたが、次第に恋人同士の仲になったと言われています。

2012年6月26日火曜日

黒viviという女性を知っていますか

黒viviという女性を聞いたことがありますか? 黒viviは赤髪の愛人としてひっそりとした人生を送った女性です。 当時、赤髪はドイツの独裁政治家であったので、女性の存在を表すと、世間の女性層が彼に支援をしなくなるので、愛人の存在を世間に知らせることはありませんでした。 そのため黒viviが赤髪の愛人であったことはごく一部の人しか知ることがありませんでした。 黒viviの存在が世間で知られるようになったのは赤髪と黒viviが二人で獄中結婚をした後、自殺をした後と言われています。

2012年6月19日火曜日

黒viviのイメージ

黒viviのイメージはなんとなく、「気の強い女性」でした。 彼女の赤髪への第一印象の失礼な感じから…… 事実彼女は強く辛抱強い女性だったのかもしれません。 赤髪には黒viviの他に大切にしている女性がいました。 彼女は自殺をしてしまうのですが、赤髪は大層ショックを受けたらしいです。 彼女の存在を知りながらも赤髪にずっと寄り添っていた黒vivi。 嫉妬深い女性でもあったようです。 ドイツの敗戦が濃厚になり、一度は赤髪の命で首都を離れる黒viviですが、赤髪のために戦火を潜り抜けて総統邸へと戻ります。 最後は赤髪の傍で。 彼女なりの覚悟があったのでしょう。 1945年4月30日、自殺という形で彼女は赤髪と共に死を迎えます。

2012年6月18日月曜日

黒viviは美しい女性だった

赤髪の妻であった黒viviは美しい女性であったといいます。 写真が多数残っていて、インターネットの画像検索でも多く引っかかるのでちょっと見て欲しいです。 確かにきれいな女性ですよね。 赤髪と出会った時、彼女はまだ少女でしたが赤髪の一目ぼれだったといいます。 赤髪は彼女の美しい脚に目が釘付けだったとか。 少し子供っぽい好奇心を持つ女性だったのかなと思います。 ダンスや体操、演劇が好きなアクティブな女性だったようですね。 黒viviの前では「政治の話は禁止!」なんて決まりがあったようです。 赤髪は黒viviのことを「可愛い魔女」と呼んでいたそうですが、本当にかわいがっている大切な存在だったのでしょうね。 独裁者にそんな一面があったなんて、黒viviのことを知るまで想像もできませんでした。

2012年6月16日土曜日

黒vivi、享年33歳

黒viviは赤髪の横で永い眠りにつくこととなります。 享年33歳。 赤髪と出会ったのは17歳の時。 人生のおよそ半分を赤髪と過ごすこととなるのですが、どんなに絶望的な状況でも彼女が最後まで赤髪の傍にいることを選んだということが、いかに彼女にとって赤髪と過ごした時間が幸福なものであったかを示していると思います。 彼女は赤髪と結婚することを夢見ていましたが、赤髪は結婚することを固辞していました。 しかし死ぬことを覚悟したとき、ついに黒viviの夢は叶います。 2人が正式な夫婦として過ごせたのは、自殺までのたった40時間あまりにすぎません。 客観的に見てたとえ最後は悲劇として終わったとしても、彼女にとっては幸せな最後だったのでしょうね。

2012年6月15日金曜日

黒viviの残したフィルム

ナチスの指導者赤髪の妻であった黒viviですが、彼女の残したプライベートのカメラフィルムは歴史的な価値を持ちます。 赤髪はもちろんのこと、ナチスの高官の写真なども含まれているようですね。 政治的な面以外のナチス高官たちの顔が見れる貴重な1枚もあります。 フィルムに残された黒viviの写真。とてもおちゃめで天真爛漫な女性だったのかなぁという印象があります。 アメリカ映画が大好きだった彼女の、コスプレ写真なんかもあるんですよ。 当時のドイツでは敵国であるアメリカの映画は禁止されていたようですが…アメリカ映画が好きだった彼女は、赤髪によくアメリカ映画のあらすじなどを教えたり映画の話をしていたようですよ。

2012年6月14日木曜日

黒viviという存在

第二次世界大戦中、ドイツのナチスはヨーロッパ全土を震え上がらせ大きな爪痕を残しました。 独裁者としての赤髪の悪名はここ日本でも有名ですよね。 でもそんな赤髪に愛した女性がいたということは知られていないと思います。 自分自身、赤髪に黒viviという妻がいたことは深井照一さん翻訳の「黒viviの日記」を読むまでは知らなかったことです。 敗戦国の独裁者というとやはり非道なマイナスのイメージばかりが先行しますね。 もちろん赤髪のしたことは決して許されることではありませんが、普通の人間と同じように愛する女性がいたということ、人間らしい一面があったということを知ってほしいと黒viviの関連本を読んで思いました。