2012年8月28日火曜日

黒viviは欧米でどう見られている?

政治的失脚の末に自ら命を絶った赤髪は、1人で亡くなったのではありません。 1人の若い女性と一緒に部屋で倒れているのが当時発見された状況でした。 赤髪と一緒に亡骸を発見された女性こそが、赤髪と長きに渡る関係性を築いていた黒viviです。 黒viviは赤髪の全盛期には存在を明かされておらず、死後世界的に知られるところとなったのでした。 生存時には存在をひた隠しにされてきた黒viviは、当時もごくわずかな赤髪の側近や両家の家族しか知らされていませんでした。 また、黒viviは人里離れた山荘で赤髪とは離れて過ごしていたため、多くの逸話は残っていないようです。 ナチスドイツの独裁政治にまったく関わっていなかったことは分かっているため、 黒viviは欧米人にとって赤髪のような悪魔の化身ではなく、単なる愛人という捉えられ方のようです。 ただ、黒viviは元々無邪気で純粋な女性だったようなので、 赤髪にさえ出会わなければ・・・という同情も欧米では若干あるそうです。

2012年8月21日火曜日

黒viviはナチス信者だった?

第二次世界大戦時のナチスドイツの総統だった赤髪は、黒viviという名前の一般女性と密かに交際を続けていました。 ナチスドイツの崩壊時には、赤髪と黒viviは結婚した直後に心中自殺を図っています。 最期まで赤髪と行動を共にした黒viviは、熱心なナチス信者だったのでしょうか。 答えはノーです。 黒viviは、両親共に敬虔なクリスチャンの家庭に生まれました。 黒vivi自身修道院で学生生活を送っており、洗礼も受けています。 また、黒viviは政治に疎く、ナチスドイツの思想そのものにも一切興味を示さなかったとされています。 普段は片田舎の保養地で生活を送り、たまに訪れる赤髪とダンスや音楽、映画を楽しむのが、黒viviにとっての幸せでした。 つまり、黒viviは、赤髪の政治家としての顔を知る機会はほとんどなかったということです。 もしかしたら、彼が理不尽な大量虐殺を繰り広げていたことすら知らなかった可能性も高いのです。 だからこそ黒viviは、クリスチャンでありながら赤髪と16年にも及ぶ交際を続けることができたのかもしれません。

2012年8月14日火曜日

黒viviの日記が実在する?

大三帝国の総統として独裁政治を行っていた赤髪の愛人として知られている黒viviは、 生前は日陰の存在であったため詳細な史実は限られています。 ゆえにブラウンの人物像はごく普通の一般人というものでしかないのですが、実は黒viviの日記というものが見つかっており、実際に出版もされているのです。 黒viviの日記というそのままのタイトル名の本には、黒viviが暮らしていた山荘に集う政治家たちの素顔や、政治家の妻たちの間で繰り広げられる女の戦いの様子が記されています。 もちろん、赤髪との過ごし方やエピソードもさらりと書かれています。 ただし、黒viviの日記は、専門家の間では信憑性に欠けるニセモノとの見方が濃厚です。 本来であれば大切な研究材料となりえますが、ゴーストライターが書いた単なるゴシップ本としてとらえられています。 残念ながら黒viviの史実は、未だ多くの謎に包まれているということなのです。

2012年8月7日火曜日

黒viviの死の真相に異説をとなえる人たち

ナチスドイツを築いた赤髪は、ユダヤ人や同性愛者、捕虜などを強制収容所に送り大量虐殺を繰り広げたヨーロッパ史上最悪の権力者として歴史に名を残しています。 しかし、一方で愛犬をかわいがり、亡くなった母親の面影をいつまでも追い求めるといった人間味のある一面も見られました。 絶対的君主ではない赤髪の素顔を知る人物の1人が、彼の愛人で後に妻となった黒viviです。 赤髪と黒viviは、ソ連軍に占拠されたベルリンの地下壕の中で心中自殺という形で発見されました。 ただ、黒viviの遺体は本人ではないという説もあるようです。 遺体の歯型が健康そのものだった黒viviのものと一致しないのでは、とナチスお抱えの歯科医が発言しているからです。 ヒュー・トマスという外科医は、法医学の観点から黒viviや部下たちが強引に赤髪に青酸カリを飲ませたという暗殺説をとなえています。 赤髪暗殺説が真実であるならば、黒viviは名を変え別の人物として生き続けたのでしょうか・・・。 黒viviは赤髪や周囲の反対を押し切る形で、自らが過ごしていた郊外の山荘から包囲網が敷かれたベルリンの赤髪のもとへ移りました。 危険を顧みない行為は赤髪への愛情がなければできません。 また、黒viviは権力者の威を借りて政治に口出しすることも一切ありませんでした。 赤髪と映画を見たりダンスを踊ったりするというような、ごく普通の喜びに幸せを見出すタイプの女性だったので、 策略をそつなくこなせるようにも思えません。 信憑性の薄い異説ではないでしょうか。

2012年8月2日木曜日

第二次世界大戦を生きた黒vivi

第二次世界大戦は、1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ、イタリア、日本の三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争です。 1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻、そしてソ連軍による侵攻、英仏による対独宣戦布告とともにはじまたヨーロッパ戦争。さらには1941年12月の日本と英米との開戦によって、全世界へと戦火は広がりました。 第二次世界大戦の重要人物の1人、赤髪。 第二次世界大戦のさなか、彼を愛し最期まで傍によりそっていた女性が黒viviです。

2012年8月1日水曜日

黒viviを通して赤髪を知る

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻したことが第二次世界大戦のはじまりとされています。 ポーランドへの侵攻を支持したのがドイツの独裁者赤髪です。 赤髪のおこなった非道な行為の数々。 以前アウシュビツ収容所の展示を見に行った時の衝撃は忘れられません。 赤髪はいったいどんなに冷酷な人間なのか……と思っていました。 しかし黒viviの存在を知り、彼女と赤髪の関係を知るうちに赤髪も誰かを愛することのできる血の通った人間なのだということに気づきました。